ライフストーリー

小泉 美早子(こいずみ みさこ)牧師

京都生まれ、看護学校卒業して病院勤務中に統一協会に勧誘され、2年半活動しました。その後脱会してクリスチャンになりました。中央聖書神学校卒業。フィリピンにあるAsia Pacific Theological Theminary を卒業。教会は山口、熊本、兵庫、和歌山、奈良で牧会しました。現在、岡山神召キリスト教会と福山キリスト教会を兼任しています。

統一協会から救われて

入信する前

私は中学生の頃から人間は何のために生き、働くのか、何故誰でもいつかは死ぬのに一生懸命生きなければならないのかと、疑問を持っていました。両親に聞いてもそんなことを考えずに勉強しなさい、といわれましたが、そう言われても何の解決にもなりませんでした。子育てや仕事に一生懸命な両親を見ては、空しい思いでいっぱいになりました。

高校生になってから、あちこちの寺社に行って般若心経を買って覚えたり、般若心経の解説書を読んだりしていました。それでも生きている目的については分からず、悶々としていました。私の家は何の宗教とも関わりがなく、信仰することに否定的でした。

その後看護師になろうと決心して、寮に入り、午前中は仕事をし、午後から看護学校に通い、夜も仕事する日々が続きました。そんな中でも私の心の中は空しく、どうせ死ぬ人々をなぜ看護するのかと悩んだ事もありました。そして同僚の方の誘いで近くのカトリック教会に行くことがありました。何度か通いましたが、心に響くものはありませんでした。

統一協会に誘われて

看護師の免許を取ってすぐの時期でした。人間関係のことなどで理想と現実とのギャップに悩んでいた時、街頭アンケートに出会いました。アンケートに は以前にも答えたことがあったので断わりましたが、その時には強引に腕を引っ張られてビデオセンターという所に連れて行かれました。

そこで1時間ほどの「人生の目的」というビデオを見せられ、何か分からないけれど「神は確かにいるんだ」と感動するものがありました。生きる目的、生きる意 味ということをこれからビデオで学んでいくことで、今の人間関係の問題や自分自身の生き方も変わってくるに違いないと思い、ビデオセンター通いが始まりま した。

初めはビデオセンターが統一協会という宗教団体であることは全く公表していないので、カルチャーセンターの一種と 思っていました。ビデオを見に行くのも自分の都合のいい時間で良いし、何ヶ月でビデオを全部見ないといけないなどの制約は全くなく、またビデオセンターに 通っている人たちとの個人的な人間関係もなく、自由に出来たのが魅力的でした。ただビデオを見終わった後にビデオセンターの方が「どうでしたか?」と話し に来てくれて、それがほっとするひとときでした。

そして2ヶ月後「修練会」に参加したらどうかと勧められていきました。そ の後、たまたま本屋さんで売られていたベストセラー本の中に「文鮮明―人と思想」というのがあり、中を少し見ると自分がビデオセンターで習っている内容と 全く同じもので驚きました。そしてその本を通して初めてここが「統一協会」であることを知りました。

その本を買い、すぐに ビデオセンターに行って「こんな本が売られていたが、これはビデオセンターと関係があるのか」と聞きましたら、それはそうだが今ここでは黙っていて欲し い、と言われました。その時には既に統一協会の教えのビデオを何本も見せられており、何の違和感もなくそのことを受け入れることが出来ました。

家族の反対

2日間の修練会後すぐに看護師寮を出て、統一協会のアジトである宿舎(ホームと呼ばれていた)に入居し、統一協会の掲げる地上天国を作るために頑張っていこうと決心しました。その時すでに多くの若者が入居しており、同じ目的のために働けることを非常に喜びました。

ところが、病院での仕事は続けていたので、仕事が終わると街頭アンケートに出かけ、終わったら反省会を行い、毎日の睡眠時間が多くても4~5時間でした。共同生活も初めは楽しかったのですが、時間が経つにつれて体の疲れと、ノルマをかけられるというプレッシャーでストレスがたまっていきました。

入居後2ヶ月ほどしてから両親に統一協会に入信した経緯、現在は看護師寮を出て共同生活をしていることを手紙で知らせました。両親は親戚の方に相談し、大変なところに私が入信したことを知って、これからどうすればいいのか悩んだそうです。

親戚の方を通じて様々な相談してくれそうな所を紹介してもらい、どうしたら私が脱会できるか相談に行ったようです。自民党議員の所から共産党の所にも出かけました。共産党の所で統一協会問題を扱っているキリスト教会の牧師を紹介されたそうです。

両親があちこちの相談所やキリスト教会などに相談に行っている時期、私は統一協会にのめり込み、仕事を辞めて統一協会の働きに専念したいと思い始めていまし た。しかし、そのためには両親の許可が入り、両親が統一協会の信仰には完全に反対していることは気付いていましたので、許可をもらうことは難しい状況でし た。

当時、統一協会の計画で日本人の協会員がアメリカに渡航して働きを行うという計画があり、私もそのためのパスポートを 取りました。自宅から統一協会の宿舎に住民票を異動して、勝手にパスポートを取りましたので、そのことが両親にばれてしまいました。それで両親は心配し て、私がアメリカに行ってしまうとそれこそ二度と日本に帰れないと思い、役所に行って住民票が異動されたらすぐに家に連絡して欲しいと頼みました。

そして東京にあるアメリカ大使館に英語の文書を書いてもらって私がアメリカに渡航しないよう陳情に行きました。法務局にも行って、人権保護問題として統一協会の問題を扱って欲しいと訴えました。神戸のアメリカ領事館から、お宅の統一協会の娘さんをアメリカに渡航させないようにしますとの返事が来て、両親はほっとしたということでした。

それからしばらくして私がまだ病院で働いていた時、職場に親戚の方が突然現れました。 急用があるから、病院にも断っているので来て欲しいとのことでした。私は仕事の途中でしたが抜け出して着替えました。病院を出て親戚の人の所に行くと、父がそこに待っており、車でそのまま福井県の元統一協会員だった方の所に連れて行きました。

キリスト教会との出会い

福井県では雪深い所を早朝に逃げ出し、それでも両親は寝ずに私が逃げないか見張っていたので、すぐに後ろから追いかけてきて捕まりました。そして父の実家ま で連れて行かれました。そこで頭を冷やすようにと言われましたが、私はとにかく統一協会に行きたいと言い張っていました。

結局、両親によって東京の統一協会問題を扱っている牧師の所に連れて行かれました。東京では牧師の話を全く聞こうとしなかったので、牧師もあきれてしまい、 自分には扱いきれないと牧師が両親に言いました。母はその場で泣き崩れ、これからどうやってこのどうしようもない娘を助けたらいいのかと途方に暮れていま した。

東京に行ったついでに両親は統一協会の本部に私を連れて行き、そこで幹部の人たちに普通のキリスト教のように家から 通うことは出来ないのか、居所を親に教えない宗教はおかしいとまくしたてました。親が本部にまで突然来ましたから、私はこの後統一協会の中で厄介者扱いさ れ、両親の反対する家庭は罪が深いと言われました。結局、両親との約束で当分家から統一協会に通うようになりました。

しかし家にいても統一協会に日曜日しか行けない不満がたまり、両親とは口も聞かず、何か話すとけんか腰になりました。家で両親が統一協会を辞めるように説得しましたが、私はマインドコントロールされていて、馬耳東風を決め、家から飛び出して統一協会に帰ろうとしました。

その時両親が私の上着を引っ張って何とか出ていかないようにと押し問答がありました。両親は「地の果てまでもお前を捜しに行く」と捨てぜりふを残しました。 私はそれを振り切って上着が破けながらも出ていきました。両親の泣き声が後ろから聞こえて、後ろ髪引かれる思いがありました。しかし、これも地上天国のた め、神のためと思って、そういった感情を切り捨てていました。

統一協会に帰るとみんなが大歓迎してくれましたので、自分の したことは間違っていなかったと思いました。その後、街頭でアンケート活動をしていると親戚の人が偶然に通りすがり、そこで私が街頭アンケートをしている ことが、両親に伝わりました。それから数日後、街頭アンケートをしている私の所に両親が突然現れて、無理矢理に準備していたタクシーに私を乗せて、市内のあるキリスト教会に連れて行かれました。そこでは私が来るだろうと待ちかまえたかのように部屋が一室準備されていました。

教会の牧師はあまり関わりませんでしたが、神戸から毎日クリスチャンの方が来て、私に聖書と統一協会の教えの違いについて話しました。しかし、私はこんな無謀なやり方で私を棄教させようとすることに腹を立て、何とか逃げ出せないかと考えていました。

両親と3人で一日中部屋に閉じこもり、唯一部屋を出ることが出来たのが、トイレやお風呂に行く時でした。しかし私が逃げ出さないように常に母が付き添っていました。履いてきた靴もどこかにしまわれ、スリッパでしか行動出来ませんでした。

一週間ほどたった時でしたか、母が家に帰って父しかいないすきを狙って父に嘘をつき、スリッパのまま逃げ出しました。エレベーターで3階から1階に降りてド アを開けると、ドアの前にたくさんのダンボール箱や荷物で逃げ出せないようにしてありました。仕方なく2階まで戻り、階段で1階に降りて教会の前からタク シーに乗りました。

所持金は全くありませんでしたが、着払いで統一協会の方に支払ってもらいました。前と同じように私が 帰ってきたことを統一協会の方々は大喜びしてくれました。私が何度も両親の猛烈な反対によってあちこちに連れて行かれ、棄教させられそうになっているの で、統一協会の幹部の人たちは、私を和歌山の統一協会に一時避難して過ごしたらどうかと言って、すぐに和歌山に行かせられました。そして和歌山で働きなが ら統一協会の人々と生活を共にし、奉仕していました。

和歌山へ

一般の病院で働いていましたが、頂いたお給料や給料明細書は一旦全部幹部の方に渡さなければならないことになっていました。そこからお小遣いなどのためにわ ずかだけ頂けました。しかし、そのお金だけでは実家に帰ることも出来ませんし、洋服の一枚も買うことが出来ませんでした。

和歌山に行った時は着の身着のままでしたから、お金も洋服も靴も全く自分のものはありませんでした。ですから和歌山の統一協会でわけて頂いた数枚の服を着、 サイズの合わない靴をはいて過ごしていました。幹部の方から自分が和歌山にいることを絶対に親に知らせてはいけないと言われ、万が一のために偽名を使って 過ごしなさいと言われました。

ただ両親に居所はいわなくても自分が元気で楽しく過ごしていることを電話しました。逆探知で 調べられたら困るので、電話する時間も3分以内でした。ある時、両親との電話での会話で家の冷蔵庫と洗濯機が壊れている、という話を聞き、私は自分がしっ かり働いていることを証明するために家に冷蔵庫と洗濯機を買って送ることにしました。

幹部の方も両親が安心するかも知れないといって、買って送るように言われました。そして適当なものを買って送りましたが、冷蔵庫は少し高かったので、数回のローンを組みました。ローンを組ん だ時に実名を書かないといけなかったので、両親は私が購入した電気店を調べ、そこに電話し、ローンを組んだことを聞いてどこにいるのか調べました。

統一協会にのめり込んで約2年が経とうとしていた頃、両親に電話をかけた折に両親が私の居所を知っていると話しました。それで私はまたどこかに連れて行かれてしまうのではないかと恐れ、幹部の人も兵庫県に行くようにと3日ほど逃げていました。

私は何とか両親が信仰を認め、そして統一協会に献身出来るように説得したいと幹部の人に話しました。献身しなければ統一協会の救いの完成である合同結婚式に 参加出来ないわけです。そこで幹部の方も色々と手配し、私一人では説得できないと思って、他の幹部の方と一緒に自宅に帰ることになりました。

1年近く帰っていなかった家、そして久しぶりに見る両親の顔、それはいつのまにか白髪で真っ白に変わっていました。その時自分が白髪にさせたと感じ、そのまま統一協会の信仰を捨てて家で平安に過ごしたいという気持ちが湧いてきました。

しかし、そんなことは悪魔の誘惑だと思い、その人間的な気持ちを抑えて両親を説得することに専念しました。自分の信仰は両親やひいては家族全体の救いに繋が るのだから、今自分が信仰を捨てたら家族がダメになる。信仰を反対するのは統一協会のことを誤解しているからで、その誤解を解けば必ず認めてくれるに違い ないと信じていました。

家に一緒に行った幹部の方は、統一協会の中でも有力な幹部で様々な肩書きを持っていました。ですか ら私は何も言わずにその方に説得をお任せしていました。両親はその幹部の方の話を理解はしましたが、信仰を認めることは出来ないと言いました。結局、両親 を納得させるために月に1度は自宅に帰り、顔を見せて親孝行するようにという条件で和歌山に帰ることになりました。そして月1度は自宅に帰り、出来るだけの親孝行はしました。

3回目に帰宅した時、両親から「最後のお願いがある、もう一度だけ牧師に会って欲しい、そこで一生懸 命聖書を学んでどうしても統一協会が正しいと思ったら、もう自分の好きなように信仰すればいい」と言いました。私は内心「やった」と思って喜びました。牧 師と2週間くらい適当に聖書を学んで、統一協会が正しかったと言えばそれで晴れて統一協会の信仰を認められ、献身できるのではと単純に思ったのでした。

脱会へ

そして両親の考えに従ってそのまま次の日に山口県宇部市に行きました。そこは統一協会でも有名な反対牧師と名付けられている牧師の教会でした。かつて連れて 行かれた教会では教会の一室を借りて、軟禁状態にされて一歩も外に出られないように靴まで隠されていましたが、今回は全く自由に外に出かけたり、電話をか けたり出来ました。

両親と親戚の方が一緒について来ました。一週間過ごして両親と親戚の方は帰っていきました。私は夏派遣 で来ていた神学生と一緒に寝泊まりし、聖書の話やキリスト教の話など聞かされました。毎日、牧師から統一協会の間違いについて教えられました。しかし、全て私は聞き流し、この人達も統一協会に改宗させたいとまで思っていました。

数日後、統一協会に電話を入れ自分がまた両親によって反対牧師の教会に連れてこられていることを話しました。すると幹部の方は「すぐに逃げてきなさい」というのです。しかし、逃げてしまうとまた同じ事 の繰り返しが起こると思い、そのまま電話を切って、二度と統一協会には電話せず、自分で親を説得しようと思いました。

2週間が過ぎて私は家に帰って両親に統一協会の方が正しいと確信したと話しました。両親は驚いていましたが、統一協会員が外国に旅行ビザで渡航し、不法滞在し て問題を起こしているという国会議事録を私に渡して、こんなことをしている団体が本当に正しいのか、どうか統一協会の幹部に聞いてきなさいと言いました。

私は言われるままに統一協会に戻り、国会議事録の話は本当かと聞きました。すると幹部の方は、「そんなことはどうでもいい、目的のためには手段を選んでいら れない」というようなことを言われ、ショックを受けました。それだけでなく、親の強烈な反対も理解されず、あなたの家は業が深いから親が反対するのだ、とけなされました。

私は2週間、神学生や教会のクリスチャンに接してきて統一協会の人たちより本当に純粋な愛を感じてきていました。クリスチャンたちは私が統一協会員であるにも関わらず、ごく自然に異端視することなく関わって下さいました。神学生の方に至っては生活が四六時中一緒なので朝から晩まで統一協会の話に明け暮れていたのに、それにも嫌な顔を見せずしっかりと聞いて受け止めて下さいました。

ですから統一協会の幹部の方の言葉にはかなり衝撃を受けました。そして家に帰って正直に幹部の人が言ったことを話しました。すると両親は気が狂ったかのように怒り、平手で私の顔を叩きました。そしてこんな子供を生んだのは親の責任だ、この子がいるだけで社会に迷惑になるからお前を殺して、自分たちも死ぬと言 い出しました。それには姉や妹も焦って必死で両親を止めようとして大げんかになりました。

次の日に私は両親に再度山口県の 教会にまで連れて行かれました。神学生と聖書の勉強をし、キャンプにも参加しました。統一協会をやめてクリスチャンになった方にも出会いましたが、私は 「裏切り者」呼ばわりして反発していました。しかし、反発すればするほど、そんな自分が嫌になり、クリスチャンたちの自由な信仰に何となく自分は間違っているのではないかと感じて、悶々としていました。

誰に聞いても統一協会が間違っていると言われるので、神がいるなら教えて欲しいと祈らざるをえませんでした。どれだけ学んでも聖書のことや統一協会の間違いについて全く理解できず、本物の信仰、本物の宗教というものがあれば教 えて欲しいと思って、自分なりに祈り始めました。

一週間ぐらいして、礼拝堂に一人で祈っている時に「ヨハネの福音書 13:16を読むように」という声ならぬ声が聞こえてきて、なんだろうと思いました。振り返っても誰もいません。部屋に帰って神学生に今聞いたことを話し ました。そしてヨハネの福音書13:16を開けてその意味も教えて頂きましたが、全く理解できませんでした。自分の思い込みか何かの間違いで変な声が聞こえたに違いないと思いました。

それから2~3日して、神学生が宿題をしている前で私は夢うつつに昼寝をしていました。その 夢の中でまた「ヨハネの福音書を読みなさい」という声がしました。それではっとして目が覚め、神学生に今声をかけたかと聞きました。しかし、神学生は宿題 に必死で声などかけていないといいました。それで声が聞こえてきた話をして、その聖書の箇所を教えてもらいましたが、それでも何のことかさっぱり分かりませんでした。

毎晩寝る前に、神学生とマタイの福音書1章ずつを勉強しました。予め昼間に聖書を読んでおいて、分からないことを夜に聞く事にしていましたが、毎回分からないことだらけでした。18章のところで、ゆるされた僕の例え話がありました。その意味する所が全く理解でき ないので聞いていると、私の頭の中で今まで自分が行ってきた統一協会でのアンケート活動や印鑑・壺・宝石などの展示会の奉仕、勝共連合での政治的な活動、 珍味売りなどの働きが走馬燈のように駆け巡りました。

神学生の説明は上の空できいていましたが、自分の心の中で今まで自分 が神様のため、人々のためと思って必死でやってきたことは、本当に神様が喜んでいることではなく、むしろ悲しまれていることではないかと思いました。統一 協会では、蕩減条件といって修行のように統一協会で働かないと救われないと教えていましたが、聖書では人間のどんな過ちも神様は無条件に赦して下さる、そ のままで救われることを聞きました。

ですから、自分が今まで必死に蕩減条件を行ってきたことが、とんでもない神様に対する 罪であった事が一気に自分の内に押し迫ってきて、統一協会が完全に間違っていることに気が付きました。そして神様に今までの自分の罪を赦して頂きたいと 願って、その場で神学生とお祈りしました。

長い間イエスキリストの十字架の意味がわからなかったのが、一瞬にして神様は私 の心に働いてその意味をはっきりと教えて下さいました。イエスキリストを信じた瞬間、重荷が下りて本当にすっきりした気分になりました。両親に統一協会の 過ちに気付いた事を電話すると、とても喜んでいました。

私が長い間悩んでいた人生の問題である「何のために生きているのか」ということが、ようやくわかりました。それは神様に創られた人間が神様の喜ばれるように生きていくことだと分かりました。しかし罪ある人間は神様も分からなければ、自分の罪にも気付かないのです。

だからイエスキリストがこの世に来て下さって、人間を罪から救い、人間の修行や努力によってではなく、ただ信じることで救って下さり、その上に聖書にある理想的な人間にさせて頂けると約束があります。

私は統一協会にいた時に一つの疑問がありました。それは人間が救われるために修行や努力が求められたのですが、色んな事情で修行の出来ない方や子どもやお年 寄りは救われないのではないかと思いました。共同生活をしていた時に、統一協会に入信したために精神的に異常を来した方が何人かいて、その方々と一緒に過 ごした事がありました。

統一協会にいても病気になり、何の修行も出来なくなったこれらの方々は救われるのかと幹部の方に聞いてみました。するとこの人達はここにいるだけで何にも役に立たないし、救いの完成である合同結婚式にも絶対に出席できないだろうから、救われないでしょう、と言われた。

それを聞いた時に私はこれが本当の宗教なのかと疑問に思いましたが、自分には関係ないと自分の中で打ち消していました。しかし、キリスト教の教えを聞き、た だ信じるということだけで救って頂ける事は、誰にでも出来ることで、これこそ本物の宗教の姿ではないかと実感しました。

私はあれほど信じるだけで救われるなんて虫のいい話はないと批判的でしたが、全く変わりました。信じるだけということがなかなか出来ない人間の傲慢さを嫌と いうほど見せつけられました。簡単な事のようで、なかなか信じられなかったのですが、一瞬のうちに信じられたのはまさに神様の一方的な恵みであったとしか 言いようがありません。